新年あけましておめでとうございます。
昨年は、みなさまには大変お世話になりありがとうございました。
スタッフ一同、心より御礼申し上げます。
「責任感の拡散」
2018年、製造業など、日本の大企業で人命を奪いかねないさまざまな問題が生じました。古くは共有地(コモンズ)の悲劇、身近なところでは、電車で座席をゆずれない若者と素直にゆずり受けれないお年寄り。そして、わたしたちの業務の範疇では、近隣住民の反対で設置できない保育所、騒音苦情で開催できない夏の夜の盆踊り、早朝のラジオ体操、子どもたちが集まる道ばたでのやきいも、調理方法を板前さんと相談せず食する飲食店、ラベルを見て黙々と買い物する顧客とそれを横目に商品を補充する従業人がいる食料品店。じゃ、公園など公有地内に保育園を設置しましょう、バーベキューが有料でできる場所をつくりましょう、調整が面倒な既成市街地ではなく、公有地や新しいビル、ショッピングセンターなどの主体が明確な空間に、経済に指示された事業者とトレンドに集まる消費者。それは果たして正解でしょうか。なんとなくテレビを見ながら子どもに勉強しなさいと怒るおとな、それになんとなく応えて取り組む子どもの親子関係と似てないでしょうか。高度な社会形成能力、近い距離にある人とたくみにコミュニケーションをとり楽しんだり、問題を解決する人間の本能的な能力が後退している危機すら感じます。
2018年、わたしは、社会学の分野で問題視されているこの「責任感の拡散」という言葉に、問題意識をもって業務に取り組みたいと思います。この社会の構成員である住民、市民、国民が目の前にいる人、足下にある地域、帰属意識のある都市から、眼(まなこ)を背けることなく、活き活きと、かつ自然に生きる地域社会。幕末に世界が一目おいたのも、第二次対戦の敗戦後、高度成長時代、そして、阪神淡路大震災や東日本大震災のときに、世界が一目おいたのも、日本の国民気質、地域社会、わざわざ、暮らしを隔てる壁や境をつくらなくても、互いの距離感を計りながら、思いやり、それを形態やしくみ、ルールにできるコミュニティ力があったからでしょう。
今、求められるのは、予防的な線引きをして、交わらない、好きなことだけを選択する、クレームをおそれて商品に言い訳ばかりが記載されている社会をつくることではなく、さまざまな選択の中でも、つねに今ある環境、今ある時間を大切にし、まわりを活かし、まわりに活かされる人、地域、社会だと考えます。目下、地域運営組織の活動支援、暮らしのまんなかに位置する商店街の生活者とのつながりの再構築、そして熊本地震からの復興支援などを通じて意識して取り組みたいと考えています。それは、わたし自身が、社会にでるまではなんとなくまわりから学んだ、社会にでてからは、さまざまなコミュニティのリーダーから強く教えられ、学んだことなのです。
本年もひきつづきよろしくお願いします。
以下の年賀状には、各スタッフの昨年のふりかえりと今年の抱負を記載しています。
ぜひ、ご覧ください!
(ヤマモトカズマ)